「言葉の身体/身体の言葉  #04 | キャリアのピーク」

 

6月に52歳になった。


いよいよ若手はおろか、中堅作家ともいえないような、
年齢だけはベテラン感を醸し出す微妙な年頃だ。

コツコツ月日が経ち、年齢だけは一人前になってきた。

 

45歳になった時に「ここが人生の折り返し地点」と
なんの気になしに、ふと思った。

その時、自分は90歳まで生きるんだなと思った。


それが3年前くらいと思いきや、7年前の出来事だという。

月日が過ぎるのが、年々加速度を増していく。

 

今はコンスタントに、毎年のように1本映像作品を制作できているが、

こんなペースをあと10年も続けられたらラッキーだろう。


気力、体力、アイデアや感性や感覚、角度も、

60歳になったら大きく違ってくるだろう。

その頃の自分はどんな映像を撮っているのだろう?

巨匠の晩年の映画が見たくなってくる。

 

理想としては、毎年のように名作を作りたい。

しかし、そんな簡単なものじゃない。
気持ちと頭が追いつかない。

どうか、せめて、2〜3年に一本は、いい作品、いい映像、いい画を、撮影したい。

 

ここからの10年間で、自分自身が納得のいく作品を3本撮影するのは

52歳という年齢を考えると、不可能ではない。

キャリアをスタートさせるのが遅かったから

ピークが来るのも遅かったのかもしれない。

 

色々な研究データがあるらしいが

創造性のピークは、キャリアスタートから20年後くらいにくるらしい。

僕は2007年、33歳でデビューした。

データになぞらえると、来年あたりの53歳にピークが来る計算だ。

 

しかし、自分の年齢に不安を感じる時、

僕はいつも葛飾北斎を思いだす。


日本美術史に燦然と輝く名作

冨嶽三十六景《神奈川沖浪裏》は、

北斎が70〜74歳の時の作品だと言われている。

 

あぁあぁぁぁ
あと20年は、
ガシガシ制作を続けていけそうだ。

「言葉の身体/身体の言葉 #03|潜る準備」





潜る前には準備が必要だ。

スマホの通知を消す。遠くに置く。視界から消す。
タイマーをセットする。

久しぶりに、まとまった時間で作品について考えている。

深く潜るには、かたまりの時間がいる。

すぐには「お!」に出会えない。

海面で呼吸して、潜る。
また上がる。また潜る。

何度も繰り返していると、突然「お!」にぶつかる。

しかも、その近くには別の「お!」も群れている。

「お!」「お!」「お!」が続く。


でも、それは数ヶ月に一度あるかどうか。

前に潜った場所には、もう「お!」はいない。

別の場所まで泳がないといけない。


年々、それを探すのに時間がかかる。


数年に一度、あるかどうか。

近頃は、そんな感じになってきた。

言葉の身体/身体の言葉 02 「原風景」

志村けんはコントを考えるとき

「公園のベンチに座っているところ」から考える。と聞いた。

それが彼の思考の原風景。


僕の原風景は

「一人で街角に立って、デモをしているところ」

そこからイメージして考えていくと予期せぬところに辿り着く。


そこから「SIGNAL」も「POSTER」も。

「10万年をせおう」も「FREE」も「FLAGS」も、
そこからたどりついた。


すでにイメージはあるのだが

次の作品も、その次の作品も、そこから始まっている。

僕の作品のはじまりはいつも

「街角で一人、言葉をもって立っている
」ところから始まるのだ。

言葉の身体/身体の言葉 01  「自分一人」

2026/07/04

一人は大事。

自分であることも、自分がやることも大事。


これからも、自分一人でありたい。


パフォーマンスの作品は、自分の迷いや言葉を、身体を通して発している。

言葉を書く。路上に立つ。持つ。歩く。掲げる。

自分の言葉なので、誰かが持つものではない。


アートのいいところの一つに「一人で、できる」がある。


誰にも気を遣わず、一人ではじめることができる。

一人で作ることができて、一人で発表することもできる。

文明の利器を使いながら、自分一人でやってみる。