「言葉の身体/身体の言葉 #07 | 炭鉄港アートプロジェクト」

9月13日から10月4日まで「炭鉄港アートプロジェクト2026 in 小樽」で新作「いしをはこぶ」を展示しています。

炭鉱をテーマにしたアートプロジェクトに参加させてもらうのは2度目。2013年からの3年間、札幌市立大学(当時)の上遠野敏さんにお誘いいただき「炭鉱アートプロジェクト」に参加。その時が、炭鉱や石炭との初めての出会い。その頃の僕は擬音語や言葉の作品を作っていて、石炭の音や、エネルギーの循環や変遷の物語を作品にしました。炭鉱アートプロジェクトは、アーティストや学生が入り混じる賑やかな展示で、合宿所に泊まり込む楽しい制作環境でした。炭鉱にまつわる展覧会はその時以来、11年ぶり。

今展の企画運営はCAIで、アートディレクターは端聡さん。産炭地の旧炭鉱施設だけでなく北海道広域にわたる「炭鉄港(たんてつこう)」に関するアートプロジェクトです。石炭を掘る、石炭を鉄道で港まで運ぶ、船で日本全国に送る、石炭の燃料で鉄を作る、など、石炭をどう掘り、どう運び、どう使うか?までも見据えた大きな視点が「炭鉄港」の特徴。

しかしながら、前回も3年間苦戦し、11年経った今回も変わらず苦戦したのが、「石炭」という、自分とあまり深い関わりをもってこなかった題材でいかなる作品を作るのか?という難題。

自分にとっての作品制作とは、自分が今、扱いたい・考えたいテーマとして自分の中から生まれてくるものです。ここでの自分とは、外部からの刺激、美術の連なり、世界の歴史、日常のささいな出来事、ニュースや新聞や雑談などを通して、心の中にさざなみが起こり、日々揺れている自分です。

今回も「石炭」というあまり馴染みのない、自分の中から出てきたものではないテーマにどう応答できるか?今回は、エネルギーが木炭や石炭から電気へと「移動した」こと、エネルギーの源である石炭をどう「移動させて」きたのか?そこを起点とすることにしました。

これまで、一人では抱えきれない大きな事柄(近代、日本のエネルギー、過酷な労働など)に、一人で向き合うというパフォーマンスを一貫して取り組んできたところに、ちょうどタイミングよく「近代化」「北海道の歴史」「エネルギーの移り変わり」という、1人では抱えきれない大きなテーマをどのようにせおうか?または、その背負いきれなさをどうあらわすか?と考えてみたくなりました。

石炭の形を起点にした大きな黒い不確かな物体を、手宮線跡に沿って、旧色内駅から旧手宮駅跡地の小樽博物館まで運ぶパフォーマンスを実施しました。普通に歩けば20分程度の約5キロの道のりに1時間かかり、背負い、引きずり、ようやく運びこむことができました。運んだ黒い大きな物体は、博物館側から「大きすぎる」「展示のコンセプトにも合わない」などの理由から博物館内および博物館外でも展示NGとなってしまい、実物を展示するプランは実現しませんでした。パフォーマンス後そのままスタジオに戻し、展示もできずに解体作業となりました。

そう、私は今回もまた、背負いきれなかったのです。


「言葉の身体/身体の言葉 #06|インドネシア 後編」

2日目は、陶磁器美術館、Art:1 New Museum、ギャラリーコンプレックスを2か所など見て回り、2つのマーケットにも行ってみた。

3日目はジョグジャカルタに移動。

ジャカルタが東京だとすると、ジョグジャカルタは京都。古い都で、こぢんまりとして趣のある街。その伝統ある街に、アートコレクティブが50〜80あると言われている。

空港から道すがらに見える田園風景、高いビルのないのどかな光景。なんだか懐かしいような、ここで3か月くらいレジデンスをしてみたいような、自分にピッタリくる感じがした。日本のアート関係者がたくさん訪れ、移住する人もいる。その気持ちがよくわかる。
タクシーの運転手の運転は超アグレッシブ(汗

空港から直接、北澤潤さんたちのアートコレクティブKITAの拠点にお邪魔する。
北澤さんに、アートプロジェクトの話や、インドネシアでの生活、現地での活動についてじっくりとお話を聞かせてもらう。そのあと、筑波大学の学生たちがインドネシアのバティック(ろうけつ染め)のワークショップをしていたので、シンクスクール一行も参加させてもらった。伝統的な文化であるバティックに実際に触れることができたのは、とても貴重な体験だった。

4日目は、午前中にKUNCI Study Forum & Collectiveにお邪魔する。
今回の旅の、もう一つの大きな目的地。マレーシアでのシェアミーティングで出会ったKUNCIのメンバーとも、うれしい再会。活動について2時間、たっぷりとお話を伺う。これまでの教育とは異なるやり方を探っていること。普通はエキスパートが初心者に教えるものだが、日常の中や身近なものから、誰もが学ぶことができ、誰もが教えることができる。そういった考えのもと、教育そのものを研究し、実践しながら発展させているのだと伺った。

これまでテーマにしてきた内容も、どれもこれも興味深い。
「経済的団結」「下からの担い手」「拒否のアーカイブ」などなど。
これらのテーマの設定、というより「問いの立て方」が秀逸だと感じた。

その後、メンバーたちと近くのレストランでランチをして別れる。
インドネシアの人たちはまたすぐに会いたくなるような人懐っこさ。


その後、Kedai Kebun Forum、Cemeti、ARTJOG 2026、市場などを巡る。


全員で食べる最後の晩ご飯は、これまでの振り返りをしながら熱い議論を交わした。
第二次世界大戦中、日本はインドネシアを占領していた。
その歴史を持つ日本から来た自分たちが、インドネシアにどのような眼差しを向けるのか。
西洋の影響を受けることの功罪。自分たちの価値観や文化を、どこまで手放さずにいられるのか。
アートコレクティブの広がりと、ものづくりとの乖離。作品という概念が拡張し、形や造形がどんどんなくなっていくことへの疑問と不満。

など、議論が深まっていく、いい夜だった。


インドネシアを見て回り、コレクティブの面白さやダイナミズムに触れることができたし、協働性は大切な何かを体現していると思った。と同時に、従来の美術観や価値観、芸術家という存在そのものへの批評性がとても強く、それらを退けているようにも感じた。

僕は、そのどちらもが大切で、どちらか一方に振り切りたくないなぁと思ったし、
自分はその中間地点にいる人間なのだと気づいた。

それが自分の中途半端さを生んでいるのだとも思う。けれど、もしかすると、その中途半端な場所で、考え、作り、発信し続けることが、自分がこれまでずっとやってきたことなのかもしれないと思った。

5日目は一日中フリー。

私たちはプランバナン寺院に行ってから、スーパーやカフェに寄り、空港へ。
ジョグジャカルタ→ジャカルタ→香港→千歳という、スーパーハードなトータル24時間の大移動をして、7日目に札幌に到着しました。

お疲れ様でした。

帰りの飛行機や空港では、帰国翌日から始まる北海道教育大学岩見沢校での15コマの集中講義に向けて、映画も見ずに黙々と講義資料をつくっていました。

えらい!

「言葉の身体/身体の言葉 #05|インドネシア 前編」

8月17日〜8月24日まで、シンクスクールの視察研修として、総勢11名でインドネシアのジャカルタとジョグジャカルタに行ってきた。

大きな目的は2つ。

ジャカルタでは、グッドスクールを訪れ、アートコレクティブと場所の運営について知りたかったこと。

ジョグジャカルタでは、数多く活動しているアートコレクティブの、それぞれの運営や活動について知りたかったこと。

行ってみての結果、想像以上に、学びしかない旅でした。

滞在中は、実際に行くこと、この目で見ること、肌で直接感じることの重要性と、現地で受け取れる情報の密度と量の桁違いの多さを、ヒシヒシと感じていた。

正直、行く前からインドネシアのアートシーンについて話を聞いていたり、ウェブ記事や書籍などでいろいろと見たりしていたので、それほどの情報落差は感じないだろうと高を括っていた。

そして頭の片隅では、インドネシアの民族性や地域性によるものが強く作用しているのだろうし、汎用性も低いかもしれないと、期待をあまり膨らませずに訪れた。

しかし途中で、そもそも僕が「知りたい」と思っていたこと自体の視野が狭かったことに気づき、知りたかったこと以上の、たくさんの気づきを得ることができた。

その気づきに導いていただいたのが、現地を案内してくれた研究者の羽鳥悠樹さん。羽鳥さんはキュレーターの池田佳穂さんにご紹介いただいたのだが、インドネシアの歴史と美術史、東南アジアの美術、日本と東南アジアの歴史的関係などを、大きな視点から解説・紹介しながら一緒に見て回ってくれた。

特に、羽鳥さんに解説してもらいながら見た「インドネシア国立美術館」が、個人的には今回の旅の白眉だった。まず最初にこちらを見てから、現代アートのギャラリーやアートスペース、コレクティブを見て回れたことは、その後のものをメタ的な視点で見るための土台となった。

ジャカルタは都会で、ギャラリーやアートスペースが活発に活動している印象だった。そこから南へ下ると、ルアンルパたちのグッドスクールがある。

一見すると、これまで写真で見てきた場所と同じ光景の中に自分がいることに、ある種の感動すらあった。施設を案内していただくと、その広さと総合力、活動の持続性の高さに、ユートピアにすら見えた気がした。

施設案内に1〜2時間、「知識のマーケット」WS、アップサイクルまたはシルクスクリーンのWS、夕食を食べながらのディスカッション。4時間を予定していた訪問だったが、結局ディスカッションが盛り上がり、6時間を超えていた。

このアテンドの内容自体もきちんとパッケージ化されていて、単なる訪問や内覧ではなく、ビジネスとして用意されていたことにも感心した。

しかし、ドクメンタ2022を見て多少の疑念といくつかの批判的な視点を持っていた僕としては、運営メンバーからお金の話や運営の実情も聞くことで、腑に落ちたところ、さらに感心したところ、やっぱり解せないところが、きちんと棲み分けできた。

すごいはすごい。驚きと感動があった。それは確か。

と同時に、さらに疑念をもたげた。それも確か。

ちなみに、到着した初日の夜、サリナデパートの地下にあるスーパーで、いわゆる「マジックハンド詐欺」にひっかかり、少なくとも5000円は盗られたことも伝えておきたい。

これもまた、大いなる教訓。

「言葉の身体/身体の言葉  #04 | キャリアのピーク」

 

6月に52歳になった。


いよいよ若手はおろか、中堅作家ともいえないような、
年齢だけはベテラン感を醸し出す微妙な年頃。
コツコツ月日が経ち、年齢だけは一人前になってきた。

45歳になった時に「ここが人生の折り返し地点」と
なんの気になしに、ふと思った。
と同時に、自分は90歳まで生きるんだなと思った。


それが3年前くらいと思いきや、7年前の出来事だという。
月日が過ぎるのが、年々加速度を増していく。

 

近頃はコンスタントに、毎年1本映像作品を制作できているが、
こんなペースで、あと何年、続けられるだろうか。
気力、体力、アイデアや感性や感覚、角度も、
60歳を過ぎたら大きく違ってくるだろう。
その頃の自分はどんな映像を撮っているのだろう?

巨匠の晩年の映画が見たくなってくる。

理想としては、毎年納得のいく映像を撮りたい。
でもそれはそんな簡単じゃない。
気持ちと頭がそのような短い周期で切り替わらない。
どうか、せめて、頼むから
2〜3年に一本は、いい作品、いい映像、いい画を、撮影したい。

これから、自分自身が納得のいく映像作品を3本撮影するのは
52歳という年齢を考えると、不可能ではないはず。
キャリアをスタートさせるのが遅かったから
ピークが来るのも遅かったのかもしれない。


色々な研究データがあるらしいが
創造性のピークは、キャリアスタートから20年後くらいにくるらしい。
僕は2007年、33歳でデビューした。
データになぞらえると、来年2027年の53歳にピークが来るようだ。


そのように自分の年齢に不安を感じる時、
いつも葛飾北斎を思いだす。


日本美術史に燦然と輝く名作
冨嶽三十六景《神奈川沖浪裏》は、
北斎が70〜74歳の時の作品だと言われている。 

あぁあぁぁぁ

あと20年は、ガシガシと
制作を続けていけそうな気持ちになる。

「言葉の身体/身体の言葉 #03|潜る準備」





潜る前には準備が必要だ。

スマホの通知を消す。遠くに置く。視界から消す。
タイマーをセットする。

久しぶりに、まとまった時間で作品について考えている。

深く潜るには、かたまりの時間がいる。

すぐには「お!」に出会えない。

海面で呼吸して、潜る。
また上がる。また潜る。

何度も繰り返していると、突然「お!」にぶつかる。

しかも、その近くには別の「お!」も群れている。

「お!」「お!」「お!」が続く。


でも、それは数ヶ月に一度あるかどうか。

前に潜った場所には、もう「お!」はいない。

別の場所まで泳がないといけない。


年々、それを探すのに時間がかかる。


数年に一度、あるかどうか。

近頃は、そんな感じになってきた。

言葉の身体/身体の言葉 02 「原風景」

志村けんはコントを考えるとき

「公園のベンチに座っているところ」から考える。と聞いた。

それが彼の思考の原風景。


僕の原風景は

「一人で街角に立って、デモをしているところ」

そこからイメージして考えていくと予期せぬところに辿り着く。


そこから「SIGNAL」も「POSTER」も。

「10万年をせおう」も「FREE」も「FLAGS」も、
そこからたどりついた。



すでにイメージはあるのだが

次の作品も、その次の作品も、そこから始まっている。




僕の作品のはじまりはいつも

「街角で一人、言葉をもって立っている
」ところから始まるのだ。

言葉の身体/身体の言葉 01  「自分一人」

2026/07/04

一人は大事。

自分であることも、自分がやることも大事。


これからも、自分一人でありたい。


パフォーマンスの作品は、自分の迷いや言葉を、身体を通して発している。

言葉を書く。路上に立つ。持つ。歩く。掲げる。

自分の言葉なので、誰かが持つものではない。



アートのいいところの一つに「一人で、できる」がある。


誰にも気を遣わず、一人ではじめることができる。

一人で作ることができて、一人で発表することもできる。

文明の利器を使いながら、自分一人でやってみる。